“性的退却先進国” 日本で「愛と性」を諦めない女性が幸せを掴むには【藤森かよこ】
馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性
◆自分の生命力を、欲望を、甘く見ないほうがいい
私たちは、時代の大きな変わり目にいる。馬鹿ブス貧乏な女性にとっては恐怖と不安がいっぱいの危機の時代だ。どんな未来予測が示されようと、人間は死ぬまでは生きて行くしかない。また生きていける。人間には可塑性がある。適応できる。どんどん変わることができる。
私やあなたが望むようには世界は変化しないかもしれない。今のような無規範な時代は、人間も従来の生き方の規範から逸脱した生き方をするようになるので、みんなが狂っているように思える。嘆かわしく腹立たしいことばかりが起きているように思える。
大手メディアは言うまでもなく、毎日毎日おびただしくネット世界で発信されるブログ記事やYouTube 動画や、いろいろな書籍は、現代という危機の時代の不快な様相を見せつけてくる。未来予測も暗いことばかりだ。
大地震や津波や火山噴火や異常気象で人類は選別淘汰される?
国連のSDGs(Sustainable Development Goals)やら、「世界経済フォーラム」(ダボス会議)が提唱するグレート・リセットによるESG推進によって、大企業から中小企業にいたるまでビジネスのありようが変わる?
ESGは、環境(Environment)、社会(Society)、ガバナンス(Governance)のことで、現在の地球環境が、人類が居住できなくなるほどに荒廃しないように環境問題に対処することを、各国政府や企業に守らせるよう推進監視するグローバル・プロジェクトだ。「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」が英知(?)を結集して熟慮して作成した世界大改革シナリオの一環だ。
たとえば、カーボンニュートラル志向に応じない企業へは投資されないように金融システムをつくり変える? ハイブリッド自動車ではなく、EVをつくるように自動車会社に圧力をかける? クリーンエネルギーはコストがかかるから、二酸化炭素排出量が少ない原発の再稼働を始める? 欧州でも日本でも実際に始めると決まった。
さんざん社会的不公正を垂れ流してきた「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」(人類ではなく爬虫類人という説もある)が急にいい子ぶりっこを始めた。誰も反対できない正論の大義名分をぶち上げて、自分たちに都合よくルールを変えるのは、あの人々の常套だ。
企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility, CSR)というものを、利益の何%かを寄付している程度のことで実行したつもりでいてはダメだ? 企業は、自社の海外の生産拠点にしろ、自社内にせよ、そこで人権問題が起きていないかチェックしろ? 性差別や人権侵害を許してはならない? 取締役の40%は女性にしろ?
口だけじゃダメで、ちゃんと環境維持と社会的不公正の是正にどれだけ努力して成果を出しているか数値化して報告せよ? そうしないとグローバル市場では投資を受けることができない? 巨額を投資する機関投資家から相手にされない?
地球の海洋環境の保全のために海底資源の開発はしないことを国連で決める? 日本はエネルギーさえ自給自足できれば独立国家になれるから、排他的経済水域の海底資源の開発に未来を賭けていたのに? それでは、永遠に日本は外国からたかられ続ける属国のまま?
「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」が長年熟慮して作成した世界大改革シナリオの一部である戦争が始まる? いや、すでに始まっている?
ナノチップを身体に埋められ、位置情報から電子マネーカードやクレジットカードの使用履歴からネット検索履歴まで監視管理される人畜になる未来が待っている? いや、すでにそうなっている?
異常気象のために食糧生産ができず、食糧の輸入が途絶え、しばらくの間は食糧危機になる? しばらくの間っていつからいつまで? すでに食品の価格は上がっている。値段は同じでも内容量が減っているステルス値上げも多い。
世界中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency, CBDC)が発行され現金使用が禁じられ、個人の金融資産と収入支出が全部当局に把握され、新しい資本主義社会になる? これは、グローバル全体主義ですか? 新しい共産主義の別表現ですか?
不妊剤入りワクチン接種を条件として、ベイシック・インカムが支給されるから、職がない「無用者階級」でも食べて行くことはできるから大丈夫?
デジタル化やAI化により、ほとんどの人間ができる仕事が消えてすることがなくなっても、暇つぶしのお遊びと創造活動を合体させたようなインターネット上に構築された三次元の仮想現実(Virtual Reality)であるメタバースや拡張現実(Augmented Reality, Extended Reality)のミラーワールドの中で遊んで生きることができる? つまり、引きこもりのオタクが未来の庶民の生存様式になる?
パンデミックは何度でも起きる? 人間が集まって接する機会を少なくすることしか感染拡大は防げないのだから、学校の授業のオンライン化や企業のリモートワーク化はさらに進む? 企業によっては社員の在宅勤務を常態化するところも出現している。
飲食店はテイクアウト・サービスが増えた。料理配達サービスもいろいろ出てきた。すべてスマートフォンひとつで予約も支払いもできる。学会もコンサートもオンラインだ。
私の若い友人の鍼灸師兼整体師は、オンラインでセルフ整体のクラスを運営している。料理もオンラインで教えるようになっている。私もそういうサイバー料理教室を受講したことがあるが、なかなか楽しかった。出かけなくてもいいのがラクでいい。人はどんどん人と会わなくなる。
こういう変化に良いも悪いもない。そういう方向に世界が進むように、「世界経済フォーラム」のような国際機関から指令が各国政府に来ているから、日本もその方向に進む。これは権力者共同謀議論でも何でもない。内閣府だの首相官邸だの総務省だのの官公庁のウエブサイトを調べれば、書いてあることだ(このことについては、「馬鹿ブス貧乏水色本」に詳しく書いた)。
私自身は短期的には悲観的だが、長期的には楽観的だ。AI化、VR化、さらにAR化は世界を変えていく。システムを変えていく。価値観を変えていく。人間の生活を変え、人間の意識を変え、人間そのものを変えていく。意識(脳や心)が変わると身体が変わる。ホモサピエンスの次の人類が生まれるかもしれないから、今の段階の人類の意識であれこれ心配するのは無意味だ。
大きく見れば、ジョージ・オーウェル(1903-1950)が1949年に発表した小説『一九八四年』(高橋和久訳、ハヤカワep i文庫、2009年)に描かれたようなBig Brother(Google & Apple & Facebook(Meta) & Amazon & Microsoft の合体?)が個人情報と言動をすべて監視管理する世界になっていく。それはディストピアに見えるかもしれないが、脱税を含む犯罪はすぐに摘発されるユートピアでもある。
個人情報と言動がすべて監視管理される世界になるのはあたりまえではないだろうか? 多くの人々が、「ひ弱で愚かで不用心な人間でも保護され快適に生きて行ける社会」の実現を望んできたのだから。誰もがそういう社会で生きることができるのが人権だと思っているのだから。自助社会は望んでいないのだから。未来社会は人類サファリパークになるしかない。地球は人類愛護精神に満ちた保護領になるしかない。
保護される動物に自由はない。人間に生殺与奪権を握られている類のペットが行使できる気ままを自由とは呼べない。でも、現代の多くの人々はそのようなペットになりたがる。だから、人類ピラミッドの最上層の方々は、人々を安全地帯に囲い込み監視管理するシステムを、その仕組みが見えなくなるほどに複雑に精緻にする。
2050年には実現されているであろう『一九八四年』的世界は、オーウェルが描いた世界よりはるかに洗練されているに違いない。そこに住む人々をして自分たちが管理監視対象の人畜であることを感じさせないほどに快適なものであるに違いない。BigBrother の目などという野暮なあからさまな支配装置はどこからも見えない。
とはいえ、人間社会は複雑だ。人類ピラミッドの最上層の方々の思いどおりには物事は進まない。パンデミックもウクライナ紛争も、彼らや彼女たちが計画実行したらしいが、予定したほどの「成果」は上げていないらしい。未来はこうなると予定していると、想定外が起きる。地震予測が当たらないのと同じことだ。多くの人々が地震について意識していると地震は起きない。素粒子が誰も観測していないと波動のように振る舞い、誰かが観測していると粒子のように振る舞うように。量子力学の「二重スリット」の実験だ。
だから、私たちが生きている間は、今のような混乱状態は、しばらくはダラダラと続き、別方向に進む可能性もある。「人類ピラミッドの最上層の方々が実現させようとしている素晴らしき新世界秩序(New World Order)」を私たちが見ることはないのかもしれない。
とはいっても、どう進もうが、従来のシステムが壊れていくことは確実なので、私たちにとっては、いろいろとハードに違いない。危機に満ちたハードな時代だからこそ、しっかりと生き切りたい。ディストピアの中で幸福を、ユートピアに闇を見つけることができるのが人間なのだから、大丈夫だ。そもそもが、価値基準を手放せば、すべてがユートピアだし、すべてがディストピアなのだ。まさに新世界無秩序だ。
どんな未来が出来しても、人間の生命力というものは、どんなにひ弱に無気力に見える人のそれでさえ、強く激しい。だからこそ人類の歴史はいかに過酷であっても、今日にいたるまで続いてきた。だから、私たちは自分の生命力を、欲望を、甘く見ないほうがいい。中途半端な姿勢で生きていては、死ぬに死に切れなくなる。
死ぬことは怖いことではない。死の世界は未知なので怖がりようもない。私が何よりも怖いのは、身体や脳や心を自分で機能させることができる間に、めいっぱい自分の身体と脳と心を使い倒して夢中に生きないことだ。それは自分にしかできないことだ。自分にしかできないことを自分に課して生きることこそが自由の行使だ。
本書は、現在の日本社会における愛と性をめぐる現象や問題を紹介、確認し、私が感じていることを書いただけの雑駁な構成でできている。7章で成立しているが、各章の間に特にきちんとした論理的な繋がりがあるわけではないし、各章を構成している文と文との間には緩い連関しかない。そのほうが、自由に書けるような気がしたので、そうした。
本書を書くにあたって、いろいろリサーチして、私は驚いた。私がボケっとしている間に、日本における性的退却や人間関係の解体がかなり進行していることに。と同時に、少なくない人々が、自分の愛と性を充実させることを決して諦めていないことに。そして、現代の愛と性のあり方から、ある未来がぼんやりと見えてくることに。
愛と性は「生」に直結している。愛と性から逃げることは、生きていることから逃げることだ。人間であることから逃げることだ。
本書が、未曾有の危機の時代に生きていても、馬鹿ブス貧乏な女性が自分の人生から逃げず、幸福を作り、他者との絆をつくることを諦めないことに、いささかでも寄与できるものでありますように。
(『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』「まえがき」より抜粋)
文:藤森かよこ
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